私的中国文明論

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 世界に、どれぐらいの民族があるのかは知らないが、その中でも最大のものは、人口が優に10億を超えている中国の漢族であろう。漢族が数の多い原因としては、長い歴史の中で数多くの民族が混合していった結果であることは、衆目の一致するところであり、実際、その方言差を見ても分かるように、これが果たして一つの民族かという見解も出てくるぐらい、雑多であり、相互に通ぜず、その規模をたとえるならば、全ヨーロッパの民族が統一国家の下に統合され、たとえばラテン文の共通性の下に、一つの民族としての意識を持っているようなものである。実際、漢族の一体性を保障してきたものは、漢字漢文の共通性であった。発音が違っても、漢字で書けば、意味が同じであり、その書面によって、全然、言語が違うもの同士が民族的一体性を確保したのである。

 逆に言えば、漢族の一体性を保障したものは、秦の始皇帝以来の中央集権体制であるが、その最重要の内容は漢字の一体性であり、中央集権体制が確立できていなかったら、漢字も各地域で、字体が違い、バラバラのものになったかもしれないし(今の日本中国間の相違など問題にもならないくらいに)、また漢字が存在せず、これがヨーロッパのような表音文字であったら、どちらの場合にも、国家としての中国の統一も難しく、また漢民族の一体性の確保も難しく、現在の方言の別に従って、ヨーロッパのように民族が分立し、国家も数多く出現していたかもしれない。

 もとより、中国は多民族国家であり、そこには漢族以外にも55の少数民族が存在している。その55の民族の中には、オロス族(ロシア人)のように、明白に近代以降、中国に渡来したものも存在するのだが、しかし大多数の少数民族の先祖は、春秋以前には現在漢族地区となっている中国中心部に居住していたのであり、もっと言えば、春秋時代以前の中国というのは、現在の55の少数民族、おそらくもっと雑多な民族が居住するところであったのであり、それが春秋戦国の激動の中で、徐々に統合され、秦漢統一帝国の下で、更に拡大確立した結果、漢族が形成されたものである。

 ちなみに、現在の中国少数民族の起源を説明するならば、その際に統合されずに、山間部や辺境に残ったり、周辺に流れ出た諸民族であり、それがまた「先住」の諸民族を押し出したり、それと混合したり、前後して流れ出たもの同士が流れ出した先で混合した結果、現在に至る中国ならびに周辺諸国の民族地図が出来上がったのである。

 ちなみに、現在の中国では、漢族以外にも55の少数民族が中国人であるとされており、念のために言っておくと、単に中国の国民であるだけでなく、中華民族の一員とされているのであり、そのような見解には同意しかねるという日本人は多いだろうが、筆者はこれを道理のないことどころか、むしろ非常に当然なことと考えるのである。少なくとも、漢族という一個の民族だけが、中国人(もちろん民族という意味で)であるなどと言い切れるような状況は、中国の歴史を見る限り、ないと思うのである。

 

1.長江文明と黄河文明 2001年6月25日 TOP  

 

 2001年8月25日削除